運と縁。

超ネガティブアラサー女子の意識の変遷を見守る会。師はイウォーク師匠。

きょうは、自分の覚え書きもかねて、

「認める」ということについて書いてみたいと思います。

 

私自身、未だに願いは現実化されていなくて、

 

ここまでくると、かの有名な捻くれさんの、

 

「叶ってないということは叶えたくない観念がある」

 

ということなんだろうか…と思案しておりました。

 

 

ウーム、なぜ私は叶えたくないんだ…

 

こんなに叶えたいのにな、アハハ

 

叶えたくないとかあんのかな。

 

そんなことを思いながら、自分の認識や考えている事を整理していました。

 

 

で、ふっと気づいたんです。

 

あぁ、自分は認めたくなかったんだな、と。

 

この現実を作っているのが自分だという事を。

 

だから、自分以外の人や、外の環境のせいにして逃げていたんだな、と。

 

じゃあ、なぜ認めたくなかったか。

 

それは、もしこの状況を作り出しているのが自分だと認めてしまったら、

 

私はまた私を責めてしまうし、嫌いになってしまうと思っていたから。

 

だって、外のせいにしておけば、人のせいにしておけば、

 

自分を責めなくてすむでしょ。

 

この認めるということが完全に腑に落ちたのか、

今はぜんぜんネガが湧いてこない。

湧いてきても、自分でやってることじゃんwってつっこみ入れている。

 

私にとって、思考が現実になって願いが叶う事は、

 

すべては自分の責任であるということを痛感させられる事であり、

 

自分が自分に責められるかもしれない、がまんならないことだった。

 

だから、叶えたくなかったんでしょうね。

 

現実が思い通りにならなくて辛い方。

 

捻くれ式で、自分の叶えたくないを掘り下げてみるのも、

自分の考えを客観的に見れておすすめです。

 

 

 

そして、現実が自分の思う通りにならない時って、辛いですよね。

 

なんで辛いかって言うと、上手くできない自分を、自分が責めているから。

 

自分が自分に責められているから。

 

私もつい最近気づいたんですけど、

 

現実が思い通りにならない事がつらいんじゃなくて、

 

思い通りにできない自分に責められるのが辛い。

 

なんでできないの、と言われるのが、怖い。

(なんかこれ昔よく言われたような…)

 

自分の無力さを指摘されるようで、怖い。

 

できないこと、自分が招いてしまった事を認めるのが怖い。

 

でも、本当は逆かもしれない。

 

今までできなかった、この現実を招いてしまったのは自分であることを認める。

 

その上で、絶対自分を責めない。仕方なかったんだと、許す。

自分に寄り添う。

 

これはあくまで私のパターンですが、

実はその方が、気持ちが楽になるかもしれません。

 

自分を許して、寄り添ってあげるのが一番大事だと、

最近ようやく思えるようになってきた私でした。