運と縁。

超ネガティブアラサー女子の意識の変遷を見守る会。師はイウォーク師匠。

「そこそこ」という存在

私って、勝手に人からイメージ作られてしまいやすいのかもしれない。

 

しっかりしてる

おしゃれだからお家が綺麗そう

見た目が悪くないからすましてそう

人のこと見下してそう

小馬鹿にしてそう

容姿で劣っている人のこと嫌いそう

 

 

それで、親しくなって勝手にがっかりされる。

思ってたのと違った、って。

 

 

私は外見ではとっつきにくいと思われて、

中身を知ったら今度は嫌われるタイプ。

 

だから、人と上手くやっていくために、

すなわち人に嫌われないためには道化になるとか

ダメな部分を誇張してさらけだすとか

本当の自分じゃないキャラクターでいなきゃいけない。

 

でも、それはやっぱり本当の自分ではないので、

そういう、人より下手に出るような態度をする自分のことは嫌で仕方ない。

 

 

気を使わないでそのままでいてって言われて

そうしたら、思ってたのと違ったって言って勝手に嫌われるの

そういえば何回かあったなぁ。

 

だから、私は完璧な美人とかめちゃめちゃセンスがいいとか

そういう存在になりたくてしょうがない。

だって、そういう人なら中身がどうあっても許されちゃうから。

私は別に完璧な美人でもなく、中の中くらいの中途半端な容姿だから

中身がばれてしまうと嫌われたりバカにされてしまうんだろう、って思ってる。

 

 

私は自分は中身では人から好かれないと思ってる。

だから、自分の容姿にすごくこだわる。

身に付けるものにすごくこだわる。

家にあまりこだわらないというか

インテリアのセンスがないのを努力してなんとかしようとしないのは、

多分家まで来る仲ならある程度私のこと受け入れてくれてるんじゃないかって思えるからなんじゃないかな。

もしくは、中身が出ないように振る舞う。

でもそんな付き合い方では表面的すぎて疲れてしまうし本当に仲の良い人なんてできない。

 

 

結局、本当の私は人からだけじゃなく、

自分自身からも否定され続けてきたんだろう。

だって本当の私の中身では人から好かれない、

こんな自分ではダメなのでがんばってなにものかにならないといけないって思ってきたんだから。

 

 

これまでの人生の中で、

本当の意味で私を受け入れてくれた人はいたんだろうか。

本当の私はテキトーだしめんどくさがりだし

怠け者だしわりとどうしようもないんだろうし

愛想も悪いと思われるタイプだろう。

でもそれが本当の私なのに。

 

なんで本当の私がダメなのかっていうと、

そういう本当の私は人から嫌われてしまうキャラクターだと思っているから。

人の評価のために、本当の自分をずっと否定し続けてる。

 

本当の私のままを生きることは

イコール、人から嫌われまくることかもしれないなんて

心臓がギューと押しつぶされそうになる。

 

かわいいねとか

美人だねとか

整ってるねとか

おしゃれだねとか

 

言われても罪悪感のような申し訳なさを感じていたのは

 

そんな風に言ってくれても中身を知ったら撤回したくなるよ、って思ってるから。

 

そんなこと言ってもらって嬉しくないはずもないのに

そう言われることはとても悪いことのように感じてしまう。

 

私のこのままの中身でもいいよ、とか

しょうがなくない?って

認めなくてもいいから受け止めてくれる人なんているんだろうか。

私の外も中も好きになってくれる人なんているんだろうか。

 

この見た目のために、男性とも親しく話すのもはばかられる。

ニコニコ楽しく話してるところなんて、

とても同性には見られたくない。

後で何を言われるかわかったもんじゃない。

だから異性に人前で優しくしたり

話したい人と話すこともできない。

 

見かけで人のパーソナリティを勝手に判断するなんてバカげている。

 

勝手に好かれて

中身を知って敬遠されて

私はまたダメだったのか、と傷ついて

誰かの感情の中をされるがままに行ったり来たり

それは、1人の方が気楽だなって思うよね。