運と縁。

超ネガティブアラサー女子の意識の変遷を見守る会。師はイウォーク師匠。

『運と縁』

『運と縁』

 

 

というのは、

とある尊敬するファッションディレクターの方が

成功の秘訣として語っていた事です。

 

これを初めて聞いたとき、

 

「運だの縁だのが成功の秘訣なら、私たち凡人はどうしようもないやんけキィッ!!!」

 

と落胆しましたが、

 

潜在意識を知り自分の思考を調整する術を学ぶ中で、

 

運も縁も、自分にもあることなのに、


それを「まぐれ」とか「偶然」というラベルを貼り、

 

「運が良いなんて認めないッ!」

 

とやっていた、

 

さらにひどいことには、

 

「あぁ、自分の至らなさのせいであの人に仕事をやってもらってしまった…自分はなんとできない奴なんだトホホ…」

 

と自分を責める方へ持っていってしまっていたのは自分だったことに

「ついさっき」気づきました。

 

 

 

「運も実力のうち。」

 

素晴らしい言葉です。

 

でも、

 

「運なんて自分が望んだって手に入れることができない、


なんとなく流れてくるものを受動的に、かつチャンスを逃さずゲットするもんなんだもん」

 

という、

 

また縁に関してもそれこそ運次第とか、

天性のものだとか、


手に入れるのが至極大変なものだと思ってたんですが、

 

同じ現象を見ても

 

「わっ!この仕事やらなきゃいけなかったのに、他の人にやってもらっちゃった!

ラッキー☆

 

私って運があるし、こんな風にやってくれる人がいて縁も持ってるッ!」

 

てなると

運も縁も自分で手を伸ばせば掴めるものになるんですね。

 

この考え方はきっとすべてのことに当てはまる。

 

そして、ただのまやかしなんかじゃない。

 

なぜなら、

そう考える方が楽しいし、幸せだし、安心するから。

 

 

 

 

「楽しい」「幸せ」「安心」

 

これが正しいと私は思います。

 

これこそが、自分の指標です。

 

 

始めに

このブログは超ネガティブアラサー女子・

アヤクロが、

 

【後天的】ネガティブ気質を矯正していく決意の下、

 

潜在意識、

すなわち自分自身の力を信じて幸せになるために気づきをまとめたり、

 

或いは私は達人ではないので

読者の皆様に気づきを教えてもらったりするために開設しました。

 

(宗教、スピリチュアルではなく、心の在り方としてのお話です。

この2点に関しては私はむしろあまり信じていない方ですのでご了承ください。)

 

 

潜在意識や顕在意識の持ち方ひとつで現実が変わることを知ってから、

 

自分と同じように人生や自分自身のことに悩む人の多いことに気づくことが多くなり、

 

そのような人たちと一緒に幸せになるためにはどうしたら良いか?を模索するために始めました。

 

 

自分を変えると「決意」した人と一緒にがんばりたいと思っています。

 

 

よろしくお願い致します。

あとちょっとで精神と時の部屋(潜在意識の)を出られそうな気がする。

うわぁ、なんの因果か、、、

 

ちょうど1年前に、こんなこと書いてました。

潜在意識を7年学んで気づいたこと。 - 運と縁。

 

まさに今日書こうと思っていたのは、ここに書いてあることでした。

1年も前に気付いてたんじゃん笑

いろんな意味でコワイ笑

けどウケる笑

 

 

今日ぴったり1年ぶりにこのブログに戻り、

書こうと思っていたことはこれです。

 

願いについて考える時は、

できるかできないかを考えるのではなく、

できるを前提にどう叶ったらうれしいか?を考える。

 

何を当たり前なことを、、、

と思われるかもしれません。すみません。

 

そして、合わせて伝えたいのは、

 

エゴを厄介なやつとして追い出すのではなく、

エゴには「できるを前提に考えること」に協力してもらう

 

ということです。

 

 

☆☆☆☆☆

 

1年前にブログを書いていた時に強く握りしめていた願い、

私の場合は復縁でしたが、結果として叶いませんでした。

つい先週、彼は結婚して、

そのことも偶然つい一昨日知りました。

 

昔の私なら、

「ちょw叶わなかった人が『潜在意識 復縁』とかキーワードに入れてブログ書かんでくれやw

検索でひっかかって見ちまっただろw

縁起悪い(オコ)」

って思ってたと思う。

 

悲しくなかったかと言われるとそんなことない。

信じられないくらいの偶然のきっかけでそれを知り、

ある意味自分の引き寄せ能力の高さに引いてしまったくらい。

震える声で「ふ、ふーん」と平静を装うのが精一杯でした。

 

でも、2日経ってみて、彼の結婚を知らなかったら

私が忘却の彼方に押し込んだままになっていたことがあったのに気づいたんです。

 

それは、

彼のことが未だに大好きだという気持ち。

そして、それをいけないことだと押さえつけていた自分の思考。

 

いやいや、それ忘れないでしょ、、、

って思うでしょうけどね。

特にフラれて終わる=もう彼を好きでいてはいけない

って思考に陥りやすいんじゃないでしょうか。

 

そして陥る、

「ダメだけど、、、なんとかしたい!」

のつらい思考ループ。

 

(長かった…別れて3年経つ前に気付いてよかったよ、ほんとに。)

 

私の場合、この「好きなままでいてはいけない」の思考があまりにも強すぎて、

彼にまつわることを思い出すたびに頭の中でエゴを罰していたんですね。

 

自分の本心を押しつぶしていたわけだから、

そりゃあ何してても楽しくなかった。

まして願いが叶うかどうかわかんない状況の中で、

楽しいことなんか、考えられるわけなかった。

 

でも今考えると、このやれてなかったことこそが実は1番大事だった。

なぜなら、潜在意識は良し悪しに関わらず、考えていることから発せられる「感情」に従って動いているから。

 

私疑い深いんで(大門未知子風にどうぞ)、

「潜在意識が感情に従ってるってホントかよぉ〜」

って思っちゃうんですけど、

振り返ってみれば良いことも悪いことも結構その前の感情に倣ってることが多かったんです。

うまくいかなかった時は基本的に

「上手くいかなかったらどうしよう」

のネガティブな感情に巻き込まれてドツボにはまってたし、

上手くいったときは大体上手く行った後を妄想して楽しくなってるか、そもそもなんの感情も抱いていないか、、、

 

余談ですが、叶わなかった願いも、その前の感情を思い出せば、

きっと潜在意識への信頼を高めてくれるブースターになると思います。

 

そういう訳で、私は手痛い現実(というわけでもないんだけど)と引き換えに、

すごく大事なことを思い出したんです。

 

そしてそこから、

なぜ自分は彼と復縁したかったか?を掘り下げた結果、

自分を幸せにしたかったから、という答えを導き出し、

さらに、自分を幸せにするという「結果」が生まれるならば、方法はなんでも良いんじゃないか?

むしろ叶わなくても問題ないんじゃないか?

と、加速度的に理解が進んでいったんです。

 

私は頭がカッチカチの人間で、

無意識に自分の考えは正しい!と思っているタイプでして、

例えば一つの課題に対して色んなパターンで解決のシュミレーションを考えるなんて苦手中の苦手だったんですが、

ここに至るまでに本当にこの頭を少しずつ柔らかく柔らかくしてきたことがあったから、

このことに気づけたんだなぁとも思っています。

 

「潜在意識の使い方を会得する」

という精神と時の部屋を出た今の私は、

ここまで本当に辛かったし疲れたけど、

すごく心が軽くなっています。

 

彼は結婚したけれど、それなら彼と仲良くなりたいな、

親友みたいになれたら楽しいだろうなって、

精神と時の部屋にいた頃にはとても出てこなかったイメージが湧いたりしています。

 

はしょりすぎてよく分からない部分も多いのですが、

寝ないと明日の仕事に響きそうなので一旦ここまでで…。

 

気づきによって理解が進んだとはいえどまだエゴに引き戻されて、

お母さんシカから生まれたばかりの子鹿のようにまだ危なっかしい私なので、

理解のフェーズや潜在意識界隈で良く言われる既にあるとかについても備忘録的にちょこちょこ書けたらなと思っています。

 

 

それでは。

 

 

願いを強く握りしめすぎると頭の余白がなくなって、

願いが叶った後を楽しく考える余裕がなくなるよ。

願いはどんな前提から来るのか?を考え、

そしてその前提を疑い、願うことに怯えず正しく願うことで

思考の余白が生まれるかもしれません。

 

 

潜在意識を7年学んで気づいたこと。

決めることをずっと避けてきて

誰かが私のことを強引に愛してくれたり

強引に必要としてくれないかなってずっと思ってた

そうじゃないと仕事、結婚、自分のことすべて

決められないって思ってたから。

 

でも、私がやらなきゃいけないのは

「仕事」「結婚」を達成するのではなくて

「決める」ということだった。

手段が目標にすり替わってしまうことがよくあるように、

本末転倒してたみたいだ。

 

今では、決める、ということを避けすぎて

自分が本当はなにをしたいのか?がわからなくなってた。

 

あまりにも他力本願すぎて、甘えてきたんだ。

 

「アヤクロちゃん、決めて」

友達に言われるその言葉がどんだけめんどくさくて重たいと思ったか。

それはただのめんどくさい現実ではなくて

私へのサインだった。

お前も一緒だぞ、こんな他力本願なやつめんどくさいだろ、気づけよって。

他人は、私だった。

人生の大事な決断を他人に任せようとする責任感のない奴なんて重たいだけだし、

そもそもそんな人、自分は選ばないでしょ。

 

さらに良くないことには、

誰か決めてくれって思いながら

誰かのものさしで判断していく現実に対して文句言ってきた。

それはまるで、選挙に参加しないのに政治家に文句言う人のように。

ただのズルだ。

 

後悔が怖くて決められなかった。

失敗したら自分を責めてしまい、

また自分に自信がなくなってしまうから。

 

でも違うかもしれないことに気づいた。

自分で決めないから後悔が残ってるんだ。

さっき、叶わなかったと記憶していることは

自分の中で決めるのが曖昧だったり

自分にはそれを受け取る価値がないと

受け取ることを決め切れなかったことだなぁとも気づいた。

 

あの時ああすれば。

それは、決められなかった、決めなかったことへの後悔だ。

 

責任逃れ、ずっとしてきたんだなぁ。

できない理由は、決められない言い訳。

「そこそこ」という存在

私って、勝手に人からイメージ作られてしまいやすいのかもしれない。

 

しっかりしてる

おしゃれだからお家が綺麗そう

見た目が悪くないからすましてそう

人のこと見下してそう

小馬鹿にしてそう

容姿で劣っている人のこと嫌いそう

 

 

それで、親しくなって勝手にがっかりされる。

思ってたのと違った、って。

 

 

私は外見ではとっつきにくいと思われて、

中身を知ったら今度は嫌われるタイプ。

 

だから、人と上手くやっていくために、

すなわち人に嫌われないためには道化になるとか

ダメな部分を誇張してさらけだすとか

本当の自分じゃないキャラクターでいなきゃいけない。

 

でも、それはやっぱり本当の自分ではないので、

そういう、人より下手に出るような態度をする自分のことは嫌で仕方ない。

 

 

気を使わないでそのままでいてって言われて

そうしたら、思ってたのと違ったって言って勝手に嫌われるの

そういえば何回かあったなぁ。

 

だから、私は完璧な美人とかめちゃめちゃセンスがいいとか

そういう存在になりたくてしょうがない。

だって、そういう人なら中身がどうあっても許されちゃうから。

私は別に完璧な美人でもなく、中の中くらいの中途半端な容姿だから

中身がばれてしまうと嫌われたりバカにされてしまうんだろう、って思ってる。

 

 

私は自分は中身では人から好かれないと思ってる。

だから、自分の容姿にすごくこだわる。

身に付けるものにすごくこだわる。

家にあまりこだわらないというか

インテリアのセンスがないのを努力してなんとかしようとしないのは、

多分家まで来る仲ならある程度私のこと受け入れてくれてるんじゃないかって思えるからなんじゃないかな。

もしくは、中身が出ないように振る舞う。

でもそんな付き合い方では表面的すぎて疲れてしまうし本当に仲の良い人なんてできない。

 

 

結局、本当の私は人からだけじゃなく、

自分自身からも否定され続けてきたんだろう。

だって本当の私の中身では人から好かれない、

こんな自分ではダメなのでがんばってなにものかにならないといけないって思ってきたんだから。

 

 

これまでの人生の中で、

本当の意味で私を受け入れてくれた人はいたんだろうか。

本当の私はテキトーだしめんどくさがりだし

怠け者だしわりとどうしようもないんだろうし

愛想も悪いと思われるタイプだろう。

でもそれが本当の私なのに。

 

なんで本当の私がダメなのかっていうと、

そういう本当の私は人から嫌われてしまうキャラクターだと思っているから。

人の評価のために、本当の自分をずっと否定し続けてる。

 

本当の私のままを生きることは

イコール、人から嫌われまくることかもしれないなんて

心臓がギューと押しつぶされそうになる。

 

かわいいねとか

美人だねとか

整ってるねとか

おしゃれだねとか

 

言われても罪悪感のような申し訳なさを感じていたのは

 

そんな風に言ってくれても中身を知ったら撤回したくなるよ、って思ってるから。

 

そんなこと言ってもらって嬉しくないはずもないのに

そう言われることはとても悪いことのように感じてしまう。

 

私のこのままの中身でもいいよ、とか

しょうがなくない?って

認めなくてもいいから受け止めてくれる人なんているんだろうか。

私の外も中も好きになってくれる人なんているんだろうか。

 

この見た目のために、男性とも親しく話すのもはばかられる。

ニコニコ楽しく話してるところなんて、

とても同性には見られたくない。

後で何を言われるかわかったもんじゃない。

だから異性に人前で優しくしたり

話したい人と話すこともできない。

 

見かけで人のパーソナリティを勝手に判断するなんてバカげている。

 

勝手に好かれて

中身を知って敬遠されて

私はまたダメだったのか、と傷ついて

誰かの感情の中をされるがままに行ったり来たり

それは、1人の方が気楽だなって思うよね。

 

 

行き詰まり

再配達が何度もあると、

どうしてこうなってるのか、

逆にどうしたらよかったのか、

すごく大きな力で望む方向と逆に引っ張られてしまう。

 

もちろん、それは現実見てるからなんだけど、

こんなに苦しいことはないな…。

 

3歩進んで、2歩下がって。

それでも、1歩は歩んでるんだけど、

なぜ、他の人のようにバーっと世界が拓けないのか…。

 

行き詰まり感、閉塞感、

そして頭ではわかってるのに心がついてこないふがいなさ。

 

そんな時に、以前書いてた日記を思い出し読み返してみたら、

今より理解してるじゃんw

ってことで、自分で改めてハラオチさせるためにも再編集してみます。

 

何度も同じことを

「あぁ!わかった!」

って理解したつもりで、

また数ヶ月経つと同じことループするっていうのは

潜ちゃん的にはただただこねくり回したい、この状況が楽しくてしょうがないって感じなんですかね?

 

ドMか?

 

***

 

昨日の気づきから、少しずつ認識が変わっているのがわかる。

なんというか、気をつけしなきゃ!と思ってたのが、徐々に休めの方向に向かってるというか

私が私に優しい。

私が私の味方で居てくれている。

昨日まで同じことを思って、

同じようになだめていたはずなのに、

今日は私がすごく素直に私の言葉を受け入れてくれる。

とにかく、

「この現実も現象も私が作りだした」

ということが腑に落ちてから、私の頭は私の言葉を受け入れてくれるようになった。

いちごとモッツアレラのサラダ食べたいな、でも両方高いからせめていちごがおつとめ品になってからにしようかな、まぁどっかのタイミングで食べれるでしょって思ったら、

なんといちごがおつとめ品になったタイミングでモッツアレラも1日限定お値引きしてたり、とか。

なんだからフレンチトーストが食べたいな、ヤマザキパンとかでもいいんだけど…
んーでもとびきり美味しいやつ食べたい!
って思ってたら思いがけず行ったカフェにあって、友達と楽しくアイス付きで食べたり


逆に叶わなかったことを思い返してみると、
叶うと思ってなかったし


それってつまり叶えたいと思ってなかったことだし


なんか、途中で叶えようとすることをやめた事が多かったんじゃないかと思う。

 


食べ物の引き寄せばっかでくだらないw
と思う私もいるけど、

なんか良いことのオマケつきで願いを叶えてくれる事がすごく嬉しくて

 


諦めなければ、最終的に願いは叶うし
というか願いっていうのは叶ってる事だし、
目の前のことにジタバタしてても仕方ないんだなって。

 


なんか起きても、
「あー私イラつきたかったんだなー、イラつきたかったから自分で生み出したんだな、暇だなw
うん、イラっとしたわ。はい、じゃ、もうこの感情片付けていいかな?自演乙でしたー」
みたいな感じで余裕で笑ってみられるようになった。

まじでちょっとしたやなことの時は笑ってる。

「私こんな現象引き寄せてこんなこと感じたかったの?まじ?ウケるねw」

って。

 


なんというか…潜在意識という、全てを知ってる神様の道楽に付き合っている感じ←神さまごめんなさい

「やだなー神さま、退屈なんですか?

こんな嫌なこと出現させて!

んもぅ〜私すごくモヤッとしてしまいましたわ、お戯れはやめてください!

もう、いいですかね?普通に戻っても?」

みたいな。

 


そして、不安なモヤモヤ=感情ナビっていうのもすごく役に立ってる。

不安なモヤモヤは、自分の望みじゃない方に思考が行ってることを教えてくれる働き。

 


あーん不安だモヤモヤ。どうしよーう

あ、モヤっとる。また望んでない方見てる。
よし!
.
.
.

(以下、私の脳内)


不安「あぁ、きっとこうなんだ!オイオイ😭」

私「えーっと、それ決めてるの誰ですかね?」

不安「…私です」

私「だよねーじゃあ私の本当の望みはなにかな?」

不安→意図「私のことが大好きで私にメロンメロンに惚れてる彼と結婚する!」

私「はい正解ー」

って、自分でこれこそどうするかを決められる。

 


めっちゃいいわー今の私。

めっちゃ好きだわ。

 


今まで、
「何かを見て不安になったりリアクションしてはいけない」
っていうのがすごく負担だった。
嫌な感情とか微塵も感じちゃいけないって勘違いしてたから。

 

それじゃ、私の正直な反応はどうすんだよ!
聖人君子じゃねーよう😭
とよくわかんない反応してた

でも、
「リアクションしてもいいけど、その後望む方向からずれなければOK」
になってからだいぶ楽になった。

なにより、
「自分の辛いと思うことはもうやめよう、自分の気持ちが楽でいられる選択をしよう。
それがどんなことにつながってもいいや、私のことを考えられるのは私だけだから、私は私を甘やかそう」
って思ってから相当楽になった。

なぜ、幸せな想像をすることすら遠慮してたんだろう。

幸せなこと考えて「そうならなかったら」私が落ち込んじゃう、かわいそう!って

「そうならない」ってどこのタイミングで決めるんだーい?

 


悪いことに備えて不安を保険にしてたけど、
私の目的は不安を保険にして凹みを減らすことじゃない、
願いを叶えることだろー?

「私はこれを叶えたいんだけど叶わなかったら凹むから不安を保険にして持っています」

…これ、叶えたいって思ってないじゃん笑

私が考えてるのは叶えたいということすら思ってなくて、

「叶わなかったら」しか考えてなかったんだよ

いや!んなことない!
叶えたいって思ってた!


って言うかもしれないけど

私の思いの中心は叶わなかった時のために、に入れ替わっちゃってたんだよ、

だから潜在意識に正しく理解してもらえてなかったんだよ

 


なんでそんなに遠慮した?

お他人様に恥ずかしい?申し訳ない?

いやいや、私の頭の中だけの妄想だからお他人様になんのリアルアクションしてないから迷惑かけてないし

そんな自由に考えてモラルはないのかッ?!て?

私モラルも常識もありすぎて縛られてるから全部外したっておおごとになりゃしないよ←

そこは、信じようよ自分を。



現実無視して私の世界だけで通用する楽しいこと考えてみなよ

めっちゃ楽しいから笑



そして、私は潜在意識の仕組みをきちんと理解することもやめた。
見えないもの、この手で触れられないものをなんとかこねくりまわして理解してやろうって、そりゃ脳科学者でもむりだもん!

そしたら相当楽になった。

これで願いが叶うかどうかなんて知らないよー

でも自分の好きなように考えて自分に優しくするのが気持ちいいんだ

瞑想も完璧じゃないけど、寝る前起きた時の自己暗示も忘れがちだけど良いと思う

水面下で動いてるって思うのもすごく良い

今すごく幸せ。

どうにかなるからさ。きっと。

大丈夫だよって、私が言ってるから。

決めたこと

この3日間、色々考えて、

こういうことになりました。

 

私、もう自分を変えようとするの、

やめます。

 

 

  • 私は自分を責めない。

 

  • 私は自分のやりたくないという気持ちを抑えてまで、他人のために何かをしない。

 

  • 私は現実を否定しない。潜在意識が私の認識を元につくってくれたものとして、受け止め、感謝する。

      (潜在意識には良いも悪いもない。それをジャッジしてるのは、自分。現象にはなんの意味もないのに、そこに「悪い現実」というレッテルを貼ってるのは、私)

 

 

  • 私はエゴのDJを聞かない。

 

少しずつ、少しずつ。